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水泳
 僕の水泳を習ったのは日本水泳協会だった。水泳協会に通ったのは作家の中では僕ばかりではない。永井荷風氏や谷崎潤一郎氏もやはりそこへ通ったはずである。当時は水泳協会も芦の茂った中洲から安田の屋敷前へ移っていた。僕はそこへ二、三人の同級の友達と通って行った。清水昌彦もその一人だった。
「僕は誰にもわかるまいと思って水の中でウンコをしたら、すぐに浮いたんでびっくりしてしまった。ウンコは水よりも軽いもんなんだね」
 こういうことを話した清水も海軍将校になったのち、一昨年(大正十三年)の春に故人になった。僕はその二、三週間前に転地先の三島からよこした清水の手紙を覚えている。
「これは僕の君に上げる最後の手紙になるだろうと思う。僕は喉頭結核の上に腸結核も併発している。妻は僕と同じ病気に罹り僕よりも先に死んでしまった。あとには今年五つになる女の子が一人残っている。……まずは生前のご挨拶まで」
 僕は返事のペンを執りながら、春寒の三島の海を思い、なんとかいう発句を書いたりした。今はもう発句は覚えていない。しかし「喉頭結核でも絶望するには当たらぬ」などという気休めを並べたことだけはいまだにはっきりと覚えている。
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