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私なども娘時代には
 私なども娘時代には地唄の稽古をしたものだ。この頃では地唄など一向廃ってしまったけど、その頃の町での稽古物というとまず地唄だった。 四条通りから堺町に越した頃、私はもう絵を習いかけていたが、その頃よく宵の口に、時をきめてかどを地唄を流して来る六十余りのお爺さんがあった。それが大変うまく、緩急をつけて、なかなかちょっと誰にでもはやれない地唄の中の許し物を嗄れた渋い声で唄って来る。 アッ来やはった、と思うと、私は絵の稽古をやめて表の格子の内らまで駆け出しては、この流しに聞きとれたものだった。 その頃の祇園の夜桜は、今に較べるともっともっといい恰好だったが、桜の咲く頃など祇園さんの境内に茣蓙を敷いて、娘に胡弓を弾かせて自分の三味線と合わせてることもあったのを記憶してる。後ろにはお婆さんがいた。見れば人品も卑しくない。屹度元は由緒ある人の落ちぶれたものに相違ないとも思わせた。

デイサービス訪問介護:介護事業起業運営専門の税理士会計事務所 デイサービス・グループホームの有限会社さくらい|富山県黒部市
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