キリストの再臨に関する警告二つ。同十二章三十五節以下四十八節まで。序に「小き群よ懼るる勿れ」との慰安に富める三十二節、三十三節に注意せよ。
人は悔改めずば皆な尽く亡ぶべしとの警告。十三章一節より五節まで。
救わるる者は少なき乎との質問に答えて。同十三章二十二節より三十節まで。
天国への招待。十四章十五節―二十四節。
天国実現の状況。十七章二十節―三十七節。
財貨委託の比喩。十九章十一節―二十七節。
復活者の状態。二十章三十四節―三十八節。
エルサレムと世界の最後。終末に関する大説教である、二十一章七節より三十六節まで。
勿論以上を以て尽きない、全福音書を通じて直接間接に来世を語る言葉は到る所に看出さる、而して是は単に非猶太的なる路加伝に就て言うたに過ぎない、新約聖書全体が同じ思想を以て充溢れて居る、即ち知る聖書は来世の実現を背景として読むべき書なることを、来世抜きの聖書は味なき意義なき書となるのである、「我等主の懼るべきを知るが故に人に勧む」とパウロは言うて居る(哥林多後五の十一)、「懼るべき」とは此場合に於ては確かに終末の審判の懼るべきを指して言うたのである(十節を見よ)、慕うべくして又懼るべき来世を前に控えて聖書殊に新約聖書は書かれたのである、故に読む者も亦同じ希望と恐怖とを以て読まなければならない、然らざれば聖書は其意味を読者に通じないのである。