この廚子が橘夫人の遺愛の品であるかどうかは、確証のないことであるが、製作の時代から言って必ずしもあり得ぬことではないらしい。橘夫人は天智(てんぢ)時代に生まれ、天武時代にその若き恋の日を送り、持統時代の文武(もんむ)帝の養育者となり、文武時代に光明后を産んだ人である。この廚子が天武・持統のころの作であるならば、それは夫人が後宮にはいった前後の時代で、あるいは当時の後宮の趣味を現わしているかも知れない。あの装飾のしみじみした柔らかさ、細やかさ、あの三尊の涙ぐましい愛らしさなどは、恐らく当時の貴婦人を恍惚とさせたものであろう。天平時代の一面を光明后に代表させるごとく白鳳時代の一面をもまたその母夫人に代表させていいならば、この廚子に残された夫人の愛情は、藤原京生活の半面を暗示するのである。
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