平家物語や源平盛衰記以外に、俊寛の新解釈を試みたものは現代に始まつた事ではない。近松門左衛門の俊寛の如きは、最も著名なものの一つである。
近松の俊寛の島に残るのは、俊寛自身の意志である。丹左衛門尉基康は、俊寛成経康頼等三人の赦免状を携へてゐる。が、成経の妻になつた、島の女千鳥だけは、舟に乗る事を許されない。正使基康には許す気があつても、副使の妹尾が許さぬのである。妻子の死を聞いた俊寛は、千鳥を船に乗せる為に、妹尾太郎を殺してしまふ。「上使を斬りたる咎によつて、改めて今鬼界が島の流人となれば、上の御慈悲の筋も立ち、御上使の落度いささかなし。」この英雄的な俊寛は、成経康頼等の乗船を勧めながら、従容と又かうも云ふのである。「俊寛が乗るは弘誓の船、浮き世の船には望みなし。」