先生は未婚のまま学問や和歌で加賀百万石の前田家に仕へて御老女をつとめられ、和気乃と呼ばれた方だつた。その後前田家におひまを願ひ、京都の高等女学校の教授となつてをられたが、ついに東京に出て来られて民間の娘たちを教へられるうち、先生の名はだんだん拡まつて雑誌や講議録にお茶や、お花、礼法のことを書かれるやうになり、あちこちの宮家からお姫様方のおけいこに召され、学校も二つ三つ教へに行かれて、非常にお忙しくなつたが、それでも一週のうち水曜と金曜はお宅のお稽古日とされてゐた。先生は切下げ髪で黒いお羽織を着て、いかにも御老女様といふやうにぴたりと坐つて人と応待されたが、やはり明治人であつて西洋風のお料理が大好きで、いつでも土曜日の晩には本式の濃厚なスチユーを充分たくさん作つて、翌日もそれを温めてたべるのだと言つてをられた。お弁当のおかずにも牛肉の佃煮やローストビーフなぞ、お茶人の先生とはおよそ千里も遠いやうな物を持つて行かれて、これは一度作つて置けば一週間ぐらゐ使へるからと説明らしい事をいはれたが、ほんとうはさういふ料理がお好きだつたと思はれる。たべ物に限らず先生はすべてに保守主義ではなく、私のやうに親も家も何の取得もないやうな娘でさへ西洋人の学校を卒業したといふので、それを一つの手柄のやうに思はれて、(この時分は大方の上流令嬢たちは女子学習院か虎の門女学館に入学、中流の家では少数の頭の良いチヤキチヤキの娘だけがお茶の水といふやうな傾向であつた。)私の母に、あなたのお嬢さんは英語を習ひなすつてお仕合せだと思ひます。これからの世間はどんどん進んで行くのですから、外国語も一つ位はどうしても必要でせう。今はすべてが西洋風に反対してゐますけれど、やがて今と違つた時節もまゐりませう。私なぞももうすこし時間があればキヤット、ラツトからでも始めたいのですが。Hさんも英語を一生お役に立てなさるやうに、もつと勉強おさせになるのがよろしいと思ひますと言はれて、母はすつかり驚いて、あなたが西洋人の学校にはいつたのをほめて下さるのは田辺先生ぐらゐなものだねと笑つてゐた。
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