彼女の感情生活は、最初から法外な緊張を課せられた。緊張した感動だらけな何年かが、彼女の幼女時代に続いた。それは彼女にとって興奮と恐怖と悲劇の期間だった。アラゴンのカサリーンの葬式の日のことである。彼女のお父さまは帽子の羽毛一つを除いては頭から足の先まで黄色ずくめの衣裳を着て、彼女をラッパの鳴り響くミサの式場に連れていった。そんな日のことも彼女はおそらく記憶していたであろう。が、同様にずっと幼いころの記憶は、もっと別な種類のものだったかもしれない。二歳八カ月のとき、そのお父さまは、彼女のお母さまの首を刎ねたのである。それから後の年月は、混乱と不安を極めたものだった。お父さまの政策と結婚がつぎつぎと変わるごとに、彼女の運命も刻々変わっていった。ときには愛撫され、ときには放っておかれた。イングランドの王座の相続者であったと思うと、次の瞬間には単なる私生児として投げ出されたりした。そして、老王の死去とともに、新しい、危険な刺激が、ほとんど彼女を征服しようとした。 そのとき彼女はまだ十五歳になるやならずで継母のカサリン・パアラの家に引き取られていたのだが、このカサリンは、摂政サンマアセットの兄弟の、海軍卿シイモアと結婚していた人である。海軍卿は綺麗で色っぽくて、おまけにむちゃな人だった。カサリンが死ぬと、海軍卿はエリザベスに結婚を申し込んだ。
つくば 歯医者 http://wagatera.blogcu.com/