■ね。君も気附いたろう?
「ね。君も気附いたろう? ほら、このハンドルの上には、この人の指紋以外に、この首飾の指紋、つまり被害者の指紋は一つも見られない。これでよろしい。さあ、バルーンを静かに降ろして下さい」 喬介の言葉に、係の男は一寸不審気な表情を見せたが、間もなく作業手袋を嵌めて、捲取機のハンドルを廻し出した。 一呎。二呎。――広告気球は静かに下降し始めた。 喬介は拡大鏡を、捲き込まれて行くロープに近附けて鋭い視線をその上に配っていた。が、間もなく三十五、六呎も捲き込まれたと思う頃、広告気球の下降を中止さして、司法主任に声を掛けた。「犯人を見附けました――」 喬介のこの言葉に少からず驚いた私達は、喬介の指差した太い麻縄のロープの一部に、深く染み込んでいる少量の赤黒い血痕を認めた。「これがつまり被害者の頸部の絞傷から流れ出た血痕です。さあ、もうバルーンの用事は済みました。揚げて下さい……ああ一寸待って下さい。全部降しちゃって下さい。まだ一事忘れていた。当っているかいないか、一寸試して見ますから」 係の男は、呆気に取られたまま、再びクランクを始めた。
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■おい、伝さん
「おい、伝さん。しっかりして呉れよ。……いったいお前さんは、少し講談や小説本に夢中になり過ぎるからいけないんだ。ふン、三の字旅行会だなんて、飛んでもないヨタ咄にひッかかってさ。あんなものは皆んな出鱈目だよ。僕だって、もう暫く前から、あの案内人や、お客のことには気づいていたんだ。しかし僕は、お蔭でお前さんみたいな飛んでもない勘違いはしなかったよ。第一、君は、その三の字旅行の婦人客達は、一定の地方からやって来ると聞かされたろう。しかし、僕がいままで毎日、その婦人客達から受取った切符の発行駅は、大阪だったり、静岡だったり、神戸だったり、名古屋だったり、いや全くバラバラで、一定の地方からなんてやって来たものでは、決してないんだ。これでもまだお前さんは、その変テコな旅行会を信じたいかね。いやまア、あったことにしてもいい。が、兎に角、会長も会計も、それからいままで案内された、何百人というお客さんも、実は全くのヨタ咄で、ありはしないんだ。精々、今日捕まった案内人が会長で、それから某駅に、支部長が一人いるだけなんだ。
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■するとこの時妙なことが起った
するとこの時妙なことが起った。その妙齢な美人は、いとも御気嫌斜めな御面体で、「失礼しちゃうワ。そんなもの、あたしンじゃアなくってよ?」 いい捨てて向きなおると、すたすたと出口のほうへ歩み去り、ぷい、と見えなくなってしまった。 一方改札口では、これ又一騒動持上っていた。何思ったか例の案内人は、宇利氏の背後から押しのけるようにして柵を飛び越そうとしたが、宇利氏に引きとめられて、しばらくゴテゴテと押し合い揉み合い、やがて馳けつけたほかの駅員達に取押えられて、どうやら観念したらしく、事務室のほうへ連れて行った。宇利氏は再び向きなおって、さっさと仕事をつづける。静かなものだ。 その晩、非番になった宇利氏は、赤帽溜へやって来て、ボンヤリしている伝さんへ、笑いながら切りだした。
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