■一本槍に前進
政宗の兵が万一敵意をあらわして、氏郷勢の南へ廻って立切った日には、西には小野田の城が有って、それから向うは出羽奥羽の脊梁山脉に限られ、北には岩出山の城、東北には新田の城、宮沢の城、高清水の城、其奥に弱い味方の木村父子が居るがそれは一揆が囲んでいる、東には古川城、東々南には鳴瀬川の股に師山城、松山城、新沼城、下新田城、川南には山に依って桑折城、東の一方を除いては三方皆山であるから、四方策応して取って掛られたが最期、城に拠って固守すれば少しは支え得ようが、動こうとすれば四年前の小山田筑前の覆轍を履むほかは無い。氏郷が十二分の注意を以て、政宗の陣の傍へ先手の四将を置いたのは、仮想敵にせよ、敵の襟元に蜂を止まらせて置いたようなものである。動静監視のみでは無い、若し我に不利なるべく動いたら直に螫させよう、螫させて彼が騒いだら力足を踏ませぬ間に直に斬立てよう、というのである。七八町の距離というのは当時の戦には天秤のカネアイというところである。カーテン オーダー
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