一災起これば二災起こる
■小次郎を斬ったのは鈴木七右衛門だったとも云う
又ずっと後の寛永初年(五年歟)三月十二日、徳川二代将軍秀忠が政宗の藩邸に臨んだ時、政宗が自ら饗膳を呈した。其時将軍の扈従の臣の内藤外記が支え立てして、御主人役に一応御試み候え、と云った。すると政宗は大に怒って、それがし既にかく老いて、今さら何で天下を心掛きょうず、天下に心を掛けしは二十余年もの昔、其時にだに人に毒を飼う如ききたなき所存は有たず、と云い放った。それで秀忠が笑って外記の為に挨拶が有って其儘に済んだ、という事がある。政宗の答は胸が透くように立派で、外記は甚だ不面目であったが、外記だとて一手さきが見えるほどの男ならば政宗が此の位の返辞をするのは分らぬでもあるまいに、何で斯様なことを云ったろう。ウクライナ 美女

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