■もう一人の自分
タケシは、それに対して自らが腹を立てることを恐れた。怒りが物質化し、相手に災厄が及ぶことを恐れた。 二度目の入院中、初めて死が心に浮かんだ。自分が存在していることそれ自体が、悪なのではないか。 担当の医師は、豊里にもどることを勧めなかった。 一九七八(昭和五十三)年九月一日、タケシとヨーコは豊里を出た。新堂から草津線で京都まで出、ひかり二五号で広島に向かった。 レールの響きにまじって聞こえてくるささやきに耳を澄ませながら、タケシは考えていた。川口 歯医者
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