一災起これば二災起こる
■汚い聴診器で産婦の体を見てから
産後の心着きなどを話して引き揚げて行くと、部屋は一層静かになった。 母親は黙って、そこらを片着けていたが、笹村も風通しのいい窓に腰かけて、いつ回復するとも見えぬ眠りに陥ちている産婦の蒼い顔を眺めていたが、時々傍へ寄って赤子の顔を覗いて見た。 その日は産を気遣って尋ねてくれた医師と一緒に、笹村は次の室で酒など飲んで暮した。産婦は目がさめると、傍に寝かされた赤子の顔を眺めて淋しい笑顔を見せていたが、母親に扶けられて厠へ立って行く姿は、見違えるほど痩せてもいたし、更けてもいた。赤子は時々、じめじめしたような声を立てて啼いた。笹村は、牛乳を薄く延ばして丸めたガーゼに浸して、自分に飲ませなどした。
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■産婆が赤い背の丸々しい産児
両手で束ねるようにして、次の室の湯を張ってある盥の傍へ持って行ったのは、もう十時近くであった。産児は初めて風に触れた時、二声三声啼き立てたが、その時はもうぐったりしたようになっていた。笹村は産室の隅の方からこわごわそれを眺めていたが、啼き声を立てそうにすると体が縮むようであった。ここでは少し遠く聞える機械鍛冶の音が表にばかりで、四辺は静かであった。長いあいだの苦痛の脱けた産婦は、「こんな大きな男の子ですもの。」と言う産婆の声が耳に入ると、やっと蘇ったような心持で、涙を一杯ためた目元ににっこりしていたが、すぐに眠りに沈んで行った。汗や涙を拭き取った顔からは血の気が一時に退いて、微弱な脈搏が辛うじて通っていた。
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■お産は明家の方ですることにした
母親は一人で蒲団を運んだり、産婆の食べるようなものを見繕ったりして、裏から出たり入ったりしていた。笹村も一、二度傍へ行って見た。 産気が次第について来た。お銀は充血したような目に涙をためて、顔を顰めながら、笹村のかした手に取り着いていきんだ。そのたんびに顔が真赤に充血して、額から脂汗がにじみ出た。いきみ罷むと、せいせい肩で息をして、術なげに手をもじもじさせていた。そして時々頭を抬げて、当てがわれた金盥にねとねとしたものを吐き出した。宵に食べたものなどもそのまま出た。
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