■余り立派な生長を遂げない
私はこれのみを遺憾に思っている。 わたしの庭の草花は勿論これにとどまらないが、わたしの最も愛するものは以上の数種で、いずれも花壇に栽えられているものでは無い。それにつけても、考えられるのは自然の心である。自然は人の労力を費すこと少なく、物資を費すこと少なきものを択んで、最も面白く、最も美しく作っている。
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■すすきに次いで雄姿堂々たる草花は
鶏頭と向日葵である。いずれも野生的であり、男性的であること云うまでも無い。ひまわりも震災直後はバラックの周囲に多く栽えられて一種の壮観を呈していたが、区画整理のおいおい進捗すると共に、その姿を東京市内から消してしまって、わずかに場末の破れた垣根のあたりに、二、三本ぐらいずつ栽え残されているに過ぎなくなった。
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■陰気な店構えをしている
平日がさびしいだけに、その繁昌がひどく眼に立って、いかにも歳の暮れらしい、忙がしい気分や、または正月らしい浮いた気分を誘い出すのであった。今日のように平日から絶えず賑わっていると、歳の暮れも正月も余りいちじるしい相違はみえないが、くどくも云う通り、ふだんが寝入っているだけに、暮れの十五、六日頃から正月の十五、六日まで約一ヵ月のあいだは、まったく世界が眼ざめて来たように感じられたものである。
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